俳祖 荒木田守武
5.7.5のわずか17文字で、情感を紡ぐ世界で最も短いとされる文学『俳句』
最近は空前の俳句ブームとなっています。テレビでは有名タレントが俳句を披露し、その良し悪しを競う番組があったり、新聞には読者から投稿された、たくさんの俳句が紙面を賑わしたりしています。
俳句といえば、皆さんは江戸時代に活躍した『俳聖』松尾芭蕉をイメージされるのではないでしょうか。
さて、皆さんは俳句がいつ生まれ、誰が始めたかはご存知でしょうか?
その起源は室町時代後期に活躍した伊勢神宮の神職、荒木田守武。
彼の功績を称え、『俳祖』と呼ばれています。
神宮ばら園には守武没後410年を記念した句碑が建立されています。
俳祖と仰がれる荒木田守武は内宮の荒木田神主の薗田家に父 荒木田守秀(内宮三禰宜)と母 藤波(荒木田)氏経の娘の間に第9子として、文明5年(1473)生を受けました。15歳で禰宜に任命され、天文10年(1541)内宮一禰宜に昇進して、薗田長官と呼ばれました。
群雄割拠が激しい戦国時代の神宮多難の時代に内宮祠官(神官)として、仮殿遷宮の早期実現に力を尽くすなど神宮行政を行うなかで、この時期はまだ連歌の余技でもあった『俳諧』について、その文化的な確立を果たした人物です。
守武は最初、連歌をよくたしなみ、その才能には優れたものがありました。13歳の時に連歌師 宗祇の連歌集『老葉』を筆写したり、その10年後には兄の守晨とともに準勅撰の連歌集『新鮮菟玖波集』に一句入集を果たしたりしています。
その後に供に俳祖と呼ばれる山崎宗鑑を師事し『連歌』を学びましたが、連歌の煩雑性を解消して俳諧の道を極めた点で後に『俳句』の生みの親ともいうべき業績です。
後の松尾芭蕉を『俳聖』と称するのに対し、守武を『俳祖』とたたえる所以です。
守武辞世の和歌
神路山 わが超し方も 行末も
峰の松風 峰の松風
西行法師の和歌(『千載和歌集』に載る)
深く入りて 神路の奥をたずぬれば
また上もなき 峰の松風
神宮文庫所蔵守武の和歌は西行法師の和歌から本歌取りしたものと思われます。重責のある神官の家に生まれ、その生涯のほとんどを神宮神域で過ごしたであろう守武でありましたが、辞世の句には漂泊の歌人西行法師に憧れが窺えます。
守武の歌には洒脱にして垢ぬけていても決して俗っぽくはありません。併せて風雅と気品に特徴はあるが、決して孤高さは感じられません。
守武の教訓歌は『伊勢論語』と称賛され、広く知れ渡っています。
日本人は文字を持ち、使いこなしていく中で短い言葉で自分の心(感情)を表現する能力を身につけてきました。短い言葉で紡がれる文学である短詩形文学はそのような日本の風土の中で発達してきました。
SNS(ソーシャルメディアネットワーク)の代表ともいわれるTwitterの文字制限は140文字。全世界で約3億9千万人(2021年7月時点)が日本は4,500万人(2018年10月時点)が利用しています。
短い言葉を使っての感情表現を得意とする日本人の体質にはぴったりと合ったSNSではないでしょうか。
現在、短詩形文学の代表的な文学はその世界を31字で表現する短歌、17文字で表現する俳句などがあります。
日本最古の和歌集『万葉集』は奈良時代に編纂され、のちのひらがなの元となる万葉仮名を用いてその世界を表現しています。その数は全20巻、約4,500首。当時の天皇から庶民まで様々な身分、境遇の人々の和歌が収められています。内容も宴や旅行を詠った雑歌、男女の恋仲を詠った相聞歌、人の死を悼む挽歌など多岐にわたる和歌が収められています。
短詩形文学は和歌とりわけ『短歌』が元となり、12世紀には『短連歌』、13世紀には『長連歌』が派生します。長連歌は発展し、14世紀に生まれたのが『俳諧連歌』で、山崎宗鑑や当時の神宮一の禰宜、荒木田守武がその祖とされています。
俳諧連歌は俳句の元とされ、元禄時代、その文化とともに隆盛を極めます。井原西鶴、松尾芭蕉という俳諧界のスターが生まれたのもこの時代です。また俳諧連歌より表現の縛りが緩く、風刺や世相を織り交ぜながら詠む狂歌や川柳が生まれたのは18世紀のことでした。その後、俳諧連歌を今日の『俳句』と名付け、現在にまで続く様式を成立させたのは明治期の正岡子規です。
短歌や俳句、川柳は現在でも多くの人が親しみ、短詩形文学の現時点での集大成となっています。
また短詩形文学でありながら、短歌(和歌)の系譜と異なる発生をしたものとして、19世紀に生まれた『都都逸』(どどいつ)があります。もともとお座敷の三味線俗曲が起源といわれています。その調子は7、7、7、5調又は5、7、7、7、5調で表現されます。その起源は違えども、ワンフレーズ7文字又は5文字で表現するのは日本語短詩形文学の特徴なのかもしれません。
日本語は個々に意味を持つ「表意文字」とその文字自体には意味を持たない「表音文字」から成り立っています。表意文字とはその形を見るだけで理解可能な漢字やアラビア数字のことで、表音文字とはひらがなやカタカナ、アルファベットなどを指します。
21世紀の現在、表意文字とされるものは数字以外では漢字のみで、一般的に表意文字と表音文字を組み合わせて使用する唯一の言語が日本語だとも言えます。(例外的に若干ではありますが韓国語や中国語の文献表現で見られることもあります。)
東アジア圏で表意文字、漢字を母語とする人々は、相手と面と向う話し言葉より、読めば理解できる書き言葉を重視していたのではないでしょうか。
我が国でもいにしえより古事記、日本書紀などの国史文学、源氏物語や枕草子などの王朝文学が発展したのは、書き言葉重視の風潮があったからと思われます。
王朝文学が花盛りの時代、上級階級の貴族が思いを伝える手段は話し言葉ではなく、文字で書き残した和歌でした。
日本語文化は書き言葉の文化であり、今でもその兆候を垣間見ることができます。
漫画やツイッター、LINEにネットの掲示板は書き文化。また様々な試験でも未だに筆記重視されています。
「ネットが炎上する」といった表現があるように、ネットに書き込みが盛んなのは、面と向かわずにも意見ができる書き言葉重視文化の影響もあるかもしれません。
神宮ばら園の句碑にちなんだ
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