お伊勢さん125社まいり

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宇治橋〈うじばし〉
聖界と俗界との境の橋。身も心も正して清浄な宮域に入る心構えが大切。長さ101.8m、巾8.4m、桧造りの純日本風の大橋。外側と内側の高さ7.4mの鳥居は、外宮と内宮のご正殿の旧殿の棟持柱(むなもちばしら)である。20年毎に懸け替えられ、第62回式年遷宮では平成21年(2009)11月3日に、全国から58組の三代の夫婦がそろう一家を招き、宇治橋渡始式が斎行された。饗土橋姫神社でご祈祷された万度麻(まんどぬさ)が、向かって左の2番目の擬宝珠の中に納められている。なお、この擬宝珠に「天照皇太神宮御裳濯川御橋元和五年(1619)己未三月」の銘がある。


神宮茶室〈じんぐうちゃしつ〉



現代の建築と造園技術の粋を凝らした茶室。昭和60年(1985)建設。春と秋の神楽祭の折に一般公開がされる。
大正天皇御手植松〈たいしょうてんのうおてうえのまつ〉



参道の右側、木の柵の中に立っている。明治24年(1891)大正天皇が皇太子のときに、お手植えになった記念樹である。
手水舎〈てみずしゃ〉



参拝の前に、ここで手を洗い口をすすぐ。作法は、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗い、次に左の手に水を受けて、口をすすぐ。柄杓から口飲みするのは不作法である。
祓所〈はらえど〉
第一鳥居内祓所。諸祭典の幣帛のお祓いと神職のお祓いや遙拝式などが行われる。


内宮斎館〈ないくうさいかん〉



祭典のときには、祭主、大宮司、少宮司をはじめ全神職が前夜または前前夜から参籠(さんろう・心身を清めるためのおこもり)する。斎館の建物に続いて行在所(あんざいしょ・天皇陛下ご参拝のときのご用にあてられる)がある。
御手洗場(みたらし)
五十鈴川(いすずがわ)は水源を神路山・島路山に発し、二見浦から伊勢湾にそそぐ、流域10kmほどの国の一級河川。この御手洗場で、手を洗い口をすすぎ、心身を清めて参拝する。倭姫命(やまとひめのみこと)が、御裳(みも)のすそのよごれを濯(すす)がれたことから、一名「御裳濯川(みもすそがわ)」ともいわれる。土用の丑の日と八朔(はっさく・8月1日)に参拝し、五十鈴川の清水をいただき神棚に奉っておくと、一年間無病息災にすごせるという民間の信仰がある。

風日祈宮橋〈かざひのみのみやはし〉



宇治橋を小さくしたような、長さ45.6m、巾4.6mの桧造りの橋。五十鈴川橋(いすずがわはし)ともいわれている。この先に別宮の風日祈宮がある。宇治橋の懸替・渡始式につづき懸け替えが進められ、平成22年(2010)9月17日に大宮司以下神職により渡り始めが行われた。南端の擬宝珠に「太神宮風宮五十鈴川御橋明応七年(1498)戌午本願観阿弥敬白」の銘がある。
内宮神楽殿〈ないくうかぐらでん〉


ご祈祷の受付やお札・お守りなどの授与を行い、参拝記念のご朱印もいただける。前庭に手水石の竜虎石(りゅうこせき)がある。高さ87.8cmの円筒状の青色の岩で、竜と虎が黄白色に浮き出ている。現在の銅板葺・入母屋造の建物は、元の御殿(神楽殿・明治25年築、御饌殿・大正7年築)の老朽化により全面改築されたもので、昭和53年(1978)12月22日に神楽殿開殿式が執り行われ初神楽が奉奏された。ご参拝の折には、大御神さまの広大なご神恩に感謝の誠をささげ、国家安泰や家内安全などのご祈祷を申し出られ、ご神徳を仰がれることをお勧めする。ご祈祷は「御饌(みけ)」と「大々御神楽(だいだいおかぐら)」の2種類に分かれ、御神楽は舞楽(ぶがく)の奏行が行われる丁重なご祈祷である。授与所では、お札(剣祓・角祓・海幸大麻)やお守り(守祓・袋入守・鈴守・交通安全守・安産守・学業守・海幸守)、神宮の暦などが授与されている。


御厩〈みうまや〉



内御厩(うちのみうまや・神楽殿前)と外御厩(そとのみうまや・参集殿前)があり、皇室から牽進された神馬(しんめ)が飼育されている。神馬は、毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する。
五丈殿〈ごじょうでん〉



雨天の折に、お祓いや遙拝などの諸式または皇大神宮の摂末社遙祀の祭典が行われる。遷宮諸祭の饗膳(きょうぜん・儀式としての祝宴)なども行われる。建物正面の長さ(一丈約3m)から五丈殿といわれる。
忌火屋殿〈いみびやでん〉



諸祭典の神饌(しんせん)をお調理する所。忌火とは清浄な火ということである。御火鑽具(みひきりぐ)によって、木と木をすり合わせて発火させる。神事をはじめ全ての火は、この忌火を使用している。前庭は、諸祭典の神饌と神職を祓い清める祓所(はらえど)である。
籾種石〈もみだねいし〉



西の御敷地の石垣、参道の左側(西南隅)にある巨大な岩。江戸時代の天明年間(1781~89)に、地元(現在の伊勢市楠部町)の人々が五十鈴川上にあった大岩を、籾種まで食べて献納した秘話によって、籾種石といわれるようになった。
御贄調舎〈みにえちょうしゃ〉



石神をまつる石畳は、食物の神である豊受大御神のご神座。その大前で、祭典にお供えする御贄(神饌の代表としての鰒)を調理する儀式(忌刀で刻みを入れお塩を加える)が行われる。写真他の撮影は、ご正宮の石段までで御垣の内は禁止されている。
荒祭宮遥拝所〈あらまつりのみやようはいしょ〉



注連縄(しめなわ)を張った小石敷きの一面が北面してある。皇大神宮の第一別宮である荒祭宮を遙拝する所。時間に余裕があれば向かって右手の道を進み、荒祭宮に参拝する。
外幣殿〈げへいでん〉



ご正宮瑞垣内の東宝殿を内の幣帛殿(へいはくでん)とすれば、これは外の幣帛殿にあたるものである。古くは皇后陛下・皇太子殿下の幣帛や古神宝類を納めていたが、現在は古神宝類が納められている。なお、外宮の外幣殿は御垣内にある。
参集殿〈さんしゅうでん〉



参拝者休憩所。伊勢神宮崇敬会の参宮記念品が受けられる。能舞台があり、能楽や狂言などが奉納されている。参集殿の向かい側には、饗膳所(きょうぜんしょ)がある。饗膳とは直会(なおらい)のことで、神さまのおあがりになったものを共にいただき、神さまのお恵みを願う意味のものである。
旧林崎文庫〈きゅうはやしざきぶんこ〉



貞享3年(1686)に内宮文庫として創立され、元禄3年(1690)に林崎文庫と改称される。本居宣長をはじめ多くの学者が講義を行った。明治6年(1873)に神宮の所管となり、献納された書籍をはじめ所蔵図書の全てが、神宮文庫に移された。昭和29年(1954)に国の史蹟に指定された。
神宮道場〈じんぐうどうじょう〉
神宮司庁の旧庁舎で、昭和48年(1973)までは神宮の全ての事務が、ここで取り扱われていた。同51年に神宮道場と改称され、神職や神職を志す学生の研修施設として活用されている。


祭主職舎〈さいしゅしょくしゃ〉
神宮祭主の御宿所。豊臣秀吉の援助によって建立されたと伝えられる桃山時代の貴重な建築。平成9年(1997)に本館他が三重県の有形文化財に指定された。



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