勾玉池〈まがたまいけ〉 |
|
表参道の左側に外宮神苑の池があり、その形から勾玉池と呼ばれている。6月には花菖蒲が美しく池畔をいろどる。中秋の名月の宵、池畔の舞台で神宮観月会が毎年行われている。池の回りは散策路になっており、南の岸近くには珍木「なんじゃもんじゃの木」がある。 |
手水舎〈てみずしゃ〉 |
|
神域に入るとすぐ左側にある。手水の作法は、まず柄杓に水を汲んで、左右の手を洗い、次に左の手に水を受けて、口をすすぐ、柄杓から口飲みするのは不作法である。身も心も清め、心静かに参拝する。 |
清盛楠 〈きよもりくす〉 |
|
参道をはさんで手水舎の反対側に楠の大木がある。二本のように見えるが一株で、樹齢900年以上の古木である。その名のいわれは、平清盛(たいらのきよもり・1118~1181)が勅使として参向したとき、冠にさわった枝を切らせたという伝説による。 |
外宮斎館〈げくうさいかん〉 |
|
祭典のときには、祭主、大宮司、少宮司をはじめ全神職が前夜または前前夜から参籠(さんろう・心身を清めるためのおこもり)する。斎館の建物に続いて行在所(あんざいしょ・天皇陛下ご参拝のときのご用にあてられる)がある。 |
祓所〈はらえど〉 |
|
第一鳥居内祓所。奉幣祭のときのお祓いの行事が行われる。 |
外宮神楽殿〈げくうかぐらでん〉 |
|
ご祈祷の受付やお札・お守りなどの授与を行い、参拝記念のご朱印もいただける。現在の神楽殿は、元の御殿(明治26年築)を全面改築して、平成12年(2000)12月14日に竣功開殿祭が執り行われた。ご参拝の折には、大御神さまの広大なご神恩に感謝の誠をささげ、国家安泰や家内安全などのご祈祷を申し出られ、ご神徳を仰がれることをお勧めする。ご祈祷は「御饌(みけ)」と「大々御神楽(だいだいおかぐら)」の2種類に分かれ、御神楽は舞楽(ぶがく)の奏行が行われる丁重なご祈祷である。授与所では、お札(剣祓・角祓・海幸大麻)やお守り(守祓・袋入守・鈴守・交通安全守・安産守・学業守・海幸守)、神宮の暦などが授与されている。
|
九丈殿〈くじょうでん〉 |
|
表参道から見て手前(右側)の建物である。豊受大神宮の摂末社遙祀の祭典が行われる。建物正面の長さが、その名称に残っている。
|
五丈殿〈ごじょうでん〉 |
|
表参道から見て奥(正面)の建物である。雨天のときの修祓(お祓い)や遷宮諸祭の饗膳(きょうぜん・儀式としての祝宴)などが行われる。建物正面の長さ(一丈約3m)から五丈殿といわれる。
|
大庭〈おおば〉 |
|
九丈殿と五丈殿の前の石原は大庭といわれ、遷宮祭の玉串行事や幣帛点検の儀式が行われる。手前左隅(西南)の榊は一本榊または廻榊(めぐりさかき)と呼ばれる。その昔は、お祭りが終わると神職が冠につけていた木綿(ゆう・清浄になった姿を表象する)を、この榊の枝にかけたといわれる。 |
多賀宮遙拝所〈たかのみやようはいしょ〉 |
|
正宮前の参道に、注連縄(しめなわ)を張った小石敷きの一面が南面してある。豊受大神宮の第一別宮である多賀宮を遙拝する所。時間に余裕があれば正面の参道を進み、丘の上にお鎮まりになっている多賀宮を参拝する。
|
川原祓所〈かわらのはらいしょ〉 |
多賀宮遙拝所の近く(西南)に、注連縄を張り丸石3個を並べた石積みがある。俗に三つ石と呼ばれ、遷宮諸祭のお祓いがここで行われる。
|
亀石〈かめいし〉 |
|
多賀宮に進む参道の途中、中の御池にかけられている1枚の大石の橋がある。亀に似ているところから亀石と呼んでいる。多賀宮への石階をのぼり、参道の隅に角度によっては地蔵さんの顔に見える石がある。「寝地蔵さん」と呼ばれている。 |
忌火屋殿〈いみびやでん〉 |
北参道から切妻造板葺の建物が垣間見える。毎日朝夕二度の大御饌(おおみけ)をはじめ、諸祭典の神饌(しんせん)をお調理する所。忌火とは清浄な火ということである。木と木をすり合わせて発火させ、神事をはじめ全ての火は、この忌火を使用している。前庭は、諸祭典の神饌と神職を祓い清める祓所である。奥には御酒殿がある。
|
御厩〈みうまや〉 |
忌火屋殿の隣り(北側)にあり、皇室から牽進された神馬(しんめ)が飼育されている。神馬は、毎月1日、11日、21日の3度、菊花紋章の馬衣をつけて神前に見参する。
|
旧豊宮崎文庫〈きゅうとよみやざきぶんこ〉 |
|
外宮の神職とその子弟たちの学校であり図書館でもあって、江戸時代の伊勢文教の中心であった。明治41年(1878)の火事により、現在は門と築地塀が残っているだけである。数多い蔵書は神宮文庫に収蔵されている。春には塀越しに咲き誇る桜を見ることができる。これを「お屋根桜」と呼んでいる。 |