神宮は、天照大御神をお祭りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神をお祭りする豊受大神宮(外宮)の御正宮を中心に、14の別宮と109の摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)あわせて125のお社から成り立っています。
摂社とは、平安時代に朝廷が作成した書物に記載のあるお社で、皇大神宮に27社、豊受大神宮に16社あります。
末社とは、それ以前に伊勢の神主らが書き記した書物に記載のあるお社で、皇大神宮に16社、豊受大神宮に8社あります。
所管社には、井戸や酒、米、塩、麻、絹など衣食住をつかさどる神々が多く祭られ、皇大神宮に30社、豊受大神宮に4社、別宮の瀧原宮に3社・伊雑宮に5社あります。
日本人の心のふるさと【其ノ四十一】 ~お伊勢さんを歩こう~
外宮正宮に向かう参道の途中、神楽殿を過ぎた右手に広がる広場を大庭(おおば)といいます。大庭には奥に「五丈殿(ごじょうでん)」と手前に「九丈殿(くじょうでん)」という建物が建っています。九丈殿の参道側に設けられた榊と石畳からなる祭壇が四至神です。
ご祭神・四至神は宮域の周囲を守る神とされています。
外宮神楽殿と新御敷地のあいだに広がる、お祭りのための空間「大庭」。
「五丈殿」は雨天時のお祓いが行われる建物。
「九丈殿」は雨天時や中規模のお祭りでの摂末社の祭儀を行うための建物。
大庭に鎮まる外宮所管社の「四至神」。日本人の心のふるさと【其ノ四十】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は下御井鎮守神(しものみいのまもりのかみ)。下御井の守護神を祀る。
この神社はもともと多賀宮御料の御井であったが、現在は上御井神社の御料水に異常があった場合に用いられる。
御井のそばをせせらぎが流れる。
髙倉山のふもと、土宮前の細道を入ってすぐの場所に鎮座する。
玉垣の中に覆屋に守られた下御井が鎮まる。
土宮の御前は遷宮諸祭「山口祭」「御船代祭」が行われる祭場でもある。日本人の心のふるさと【其ノ三十九】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は稲依比女命(いなよりひめのみこと)。大歳神の御子神で五穀の神とされる。
朝熊神社の五十鈴川対岸に広がる水田地帯の中に鎮座する。
社殿はなく玉垣の中の石畳に祀られる。
朝熊神社の五十鈴川対岸にあたる水田地帯に鎮座する。
玉垣の中には社殿がなく石畳に祀られる珍しい末社。
「加努弥かぬみ」はこのあたりの地名「鹿海かのみ」に因むもの。日本人の心のふるさと【其ノ三十八】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は岩上二面神鏡霊(いわのうえのふたつのみかがみのみたま)で、往昔この地にあった岩の上に現れたという二面の神鏡を祀ったことが始まり。
朝熊神社にほど近い、五十鈴川とその支流の合流点に形成された松原に鎮座する。
朝熊神社に引き続いて祭祀が行われ、古来殊遇にあずかる末社である。
清流五十鈴河畔に鎮まる鏡宮神社。
堤防から伸びる参道。
真新しい御社殿。
「虎石」と呼ばれる河畔の岩。日本人の心のふるさと【其ノ三十七】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は朝熊神社が大歳神(おおとしのかみ)・苔虫神(こけむしのかみ)・朝熊水神(あさくまのみずのかみ)で、五穀とこの地方の土地と水の神。朝熊御前神社が朝熊御前神(あさくまみまえのかみ)。
神宮神田から五十鈴川の下流側にやや下った川沿いの小高い山の中腹という、風光明媚な場所に鎮座している。
朝熊神社は皇大神宮の第一摂社で別宮に準じた祭祀が行われ、三節祭には宵暁に由貴大御饌が奉られます。
加努弥神社から望む朝熊神社の社叢。
向かって右が朝熊神社、左が朝熊御前神社。
参道の入り口。カニが歩いていることも。
五十鈴河畔の小山の中腹に鎮まる。日本人の心のふるさと【其ノ三十六】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は佐見都日女命(さみつひめのみこと)で、この地方の国津神、土地の神。
倭姫命が御定めになったと伝えられる。
佐見都日女命が倭姫命に御塩を奉ったことを愛でられたことから、二見町江の地に御鎮座。
表は車が行き交うが、そんなことを感じさせない静かな森。
佐見都日女命が倭姫命に堅塩(かたしお)を奉った。それを倭姫命が喜び、堅田神社を定めたのである。
ご祭神が女神だと思うからだろうか。日本人の心のふるさと【其ノ三十五】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は、宇賀之御魂(うがのみたま)で五穀豊穣の守護神。
地元の方からは「イナメさん」と呼ばれ、親しまれています。
神社入口
「イナメさん」と親しまれる小俣神社
横側からみた社殿
すぐ隣には地元の産土神である八柱神社日本人の心のふるさと【其ノ三十四】 ~お伊勢さんを歩こう~
月讀尊御魂(つきよみのみことのみたま)を祀る。
倭姫命が定めた宮社の一つ。
地名の佐八(そうち)から、昔は宮川の川原で沢地だったと考えられる。
佐八小学校の近くに鎮座する。
前面は田畑が広がり、社叢であるとは気付きにくい。まさかと思うような所に祀られている
令和5年5月17日に御遷座されたピカピカのお社日本人の心のふるさと【其ノ三十三】 ~お伊勢さんを歩こう~
栖長比賣命(すながひめのみこと)という水の神を祀る。
往時は社地が五十鈴川の岸辺に近く、津長は洲長からきているとも言われる。
川の神である新川比賣命(にいかわひめのみこと)を祀る。
明治4年に津長神社に同座となった。
石清水の守り神と伝えられる高水上命(たかみなかみのみこと)を祀る。
明治4年に津長神社に同座となった。
津長神社は内宮宇治橋前、国道を隔てた饗土橋姫神社の向かって右上に鎮座する
車の往来が多い宇治橋前だが、社域は静寂である日本人の心のふるさと【其ノ三十二】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は二柱である。千依比賣命(ちよりひめのみこと)が姉、千依比古命(ちよりひこのみこと)が弟で、大歳神の御子。田野の農耕神と伝えられる。
儀式帳には倭姫命の御代に祝い定められたとある。
入口に天保3年(1832年)の常夜灯が立っている
カーブした参道は好奇心を掻き立てられる
平成28年に修繕なされた社殿
社叢の前は美しい田畑が広がる日本人の心のふるさと【其ノ三十一】 ~お伊勢さんを歩こう~
祭神の高水上命(たかみなかみのみこと)は大水上命の御子で灌漑用水の神と伝えられる。
細く長い石畳の参道
ようやくお社が見えてきた
令和4年12月8日に新殿ご遷座となった
社殿の美しさに辺り一面が明るくなったように感じる日本人の心のふるさと【其ノ三十】 ~お伊勢さんを歩こう~
大神御滄川神(おおかみのみさむかわのかみ)を祀る。
田乃家というのは田の戸(へ)、つまり御田を耕作する民戸のことをいい、その田の人家の守り神の社である。
御前神(みまえのかみ)を祀る。田乃家神社に同座する農家の守護神。
いつ訪れても静かな場所
付近では弥生時代や古墳時代の遺跡が多数発見されているようだ
水盤は天保13年(1842年)の銘である
修繕され令和5年1月26日に本殿御還座となった日本人の心のふるさと【其ノ二十九】 ~お伊勢さんを歩こう~
創立は不詳だが、もとは宇治館町の産土神。
ご祭神は木華開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。大山祇神の娘で、姉に石長比売(いわながひめ)がいる。天照大神の孫の瓊瓊杵尊の妻で、海幸彦と山幸彦を産んだ。
子安神社と並びその奥(東)に鎮座している。宇治館町の産土神のような存在だったのが、明治三十二年神宮の所管に属した。俗には山神社といい、鎌倉時代の神宮の記録に見られる古社の一つである。ご祭神は大山祇命(おおやまつみのみこと)で、神路山の入口に坐す山の守り神である。
宇治橋を渡り直進、緩やかな坂の途中にある
可愛い花の水盤があり、社域に二つの社殿が並ぶ
優しい雰囲気の子安神社。民間の信仰として、子授けや安産祈願に、鳥居が奉納される
大山祇神社は力強さを感じる日本人の心のふるさと【其ノ二十八】 ~お伊勢さんを歩こう~
那良原比女命(ならはらひめのみこと)を祀る。大水上命の子。地域の産土神であり、国津神である。田の灌漑、神田や楢原の守護神とされる。倭姫命の旅の苦労を慮った那良原比女命が倭姫命に守護地を差し出したとも言われる。社名の奈良波良は「楢原」を意味し、周辺地域がナラの木の多い原野だったことが窺われる。
養豚所前のヘアピンカーブを進入した林の中、まさかと思うような場所にご鎮座
社殿は造替され令和4年3月2日新殿へご遷座された
陽を受けて、ひっそりと凛と美しく日本人の心のふるさと【其ノ二十七】 ~お伊勢さんを歩こう~
大山津姫命(おおやまつひめのみこと)を祭る。
高倉山の末に鎮座することを指す。古い時代より創建されていたが、中世の末には祭祀が行われなくなり、近世には社地不明となる。1663年に現在地へ再興された。
外宮の裏手にしんと佇む。
カーブの多い外宮裏手通りにご鎮座
参道は短くて
横を向いてお待ちかね
境内奥からパチリ日本人の心のふるさと【其ノ二十六】 ~お伊勢さんを歩こう~
度会地方の地主神である大国玉神(おおくにたまのかみ)と弥豆佐々良比賣命(みずささらひめのみこと)を祭る。
令和4年9月に修繕されたお社が美しく、訪れた時にはまだ隣に仮殿が残されていた。
伊我利比女命(いがりひめのみこと)を祭る。
伊我利比女の名は「猪狩」から来ており、五穀を食べ荒らすイノシシを狩る女神である。
ご祭神は井中神(いなかのかみ)。
伊我理神社に同座する。
かつては外宮神田の井戸の水の神と仰がれたようである。
入口は小さく感じるが奥深く参道が続く
外観からは想像がつかないが、中は意外に広い
社域の手前右に度会大国玉比売神社
修繕後の美しい社殿
社域の奥左、きれいな石積みがなされている
令和2年9月修繕の伊我理神社日本人の心のふるさと【其ノ二十五】 ~お伊勢さんを歩こう~
大水上神の子で水の神、高水上命(たかみなかみのみこと)を祭る。
荒木田神主一族が玉城町小社曽根に本拠を置き、この小社神社を産土神として尊んでいた。
「雨の宮」と呼ばれ、日照りが続くと雨乞い祈願が行われていた。
田に囲まれ、青と緑のコントラストが美しい
社叢に燦々と日が降り注ぐ昼下がり
小社神社入口
お社への導入はゆるやかにカーブして
日照りが続くと雨乞い祈願が行われた日本人の心のふるさと【其ノ二十四】 ~お伊勢さんを歩こう~
神宮125社の中では、鳥羽市に鎮座する唯一の神社で、ご祭神は荒崎姫命(あらさきひめのみこと)。
湾内の海岸から外宮に奉納する御贄(海産物)採取の守り神。
毎年6月22日に赤崎祭(あかさきまつり)が開催され、「宮域内の杉の小枝」が当日
のみ頒布され、1年間ご家庭の玄関前に吊り、無病息災をお祈りする風習がある。
6月に御遷座が斎行され新しくなった社殿。
6月22日のみ「宮域内の杉の小枝」が授与される。
地元では1年間小枝を玄関前に吊るし無病息災をお祈りする。
近くには鳥羽の海が広がる。日本人の心のふるさと【其ノ二十三】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)
この地方の田野を潤す灌漑用水の神として祭られた。
蚊野神社に同座し、御前神(みまえのかみ)を祭る。蚊野神社と同様、この地区を流れる外城田川の支流の川の神。
社地北側は田植えの済んだ水田と麦畑のコントラストが鮮やか
万緑の社叢はいつもよりひと回り大きく感じられる
ころっとした石柱が迎えてくれる
階段を上ると奥にお社が見える
朝日が差し、緑の中に浮き上がってとても美しい
平成29年に御遷座された日本人の心のふるさと【其ノ二十二】 ~お伊勢さんを歩こう~
伊勢市小俣町湯田に鎮座し、地名がそのまま社名になっています。
御祭神はこの土地の農耕守護の神、大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)と御前神(みまえのかみ)の二柱です。神社周辺は田園が広がっており、内宮の世襲神主であった荒木田氏によって開墾された土地です。
令和四年五月に社殿が修繕された。
横側から見た社殿
域内の玉砂利が綺麗に均されている
周辺の田園を見守るように社殿が建っている。日本人の心のふるさと【其ノ二十一】 ~お伊勢さんを歩こう~
宇須乃女神(うすのめのかみ)を祭る。五穀の守り神。創始は不詳で、中世に中絶していたのを寛文三年に再興した。御薗町高向にこんもりとあり、小さな平地のお社。
縣神(あがたのかみ)を祭る。由緒ある古社だったようである。宇須乃野神社再興の時に境内社として祭祀されたが荒廃し、明治三年に再興、同座合祀された。
住宅地にこじんまりとあるが、大きなクスの木が目印。樹齢は不詳だが、樹高は25m、幹周り7.8mあり、思わず見上げる。
外見は大クスの引き立てで大きくみえるが、社地はそう広くない。
令和三年十一月に修繕され、社殿が美しい。
正面から。
勢い旺盛な大クスの幹。日本人の心のふるさと【其ノ二十】 ~お伊勢さんを歩こう~
祭神は久々能智神(くくのちのかみ)で、このあたりの木や林の守護神。
同玉垣内の右側に大河内神社が鎮座している。
祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)で、宮川の堤防の守護神。
同玉垣内の左側に志等美神社が鎮座している。
祭神は宮川堤防の守護神、打懸名神(うちかけみょうじん)。
また、「ウチカケ」の「カケ」とは「カケチカラ」という意味もあり、五穀豊穣の神様とも言われている。
1つの玉垣内に社殿が2社並んでおり、左側が志等美神社、右側が大河内神社。
同じ敷地内にある打懸神社。
すぐ隣に、地域の氏神である上社(かみのやしろ)がある。
近くには宮川があり、「日本さくら名所100選」に選定されている。日本人の心のふるさと【其ノ十九】 ~お伊勢さんを歩こう~
向かって右の南向きの社殿で外宮の度会神主の祖先、小事神主(おごとかんぬし)を祭る。
車塚一号墳と呼ばれる前方後円墳だが、原形をとどめていない。
田上大水神社と同じ玉垣の中に建ち、向かって左、東向きの社殿。
斎王に奉仕したとされる宮子で、小事神主の女(むすめ)を祀る。
内宮と外宮の間の住宅地域にひっそりとある
そう高くはない石段を一つ一つ登っていくと陽光を浴びた社がまばゆく輝いている
度会氏の祖先の墳墓が祖先信仰へと移り変わり
お隣の神宮貯木場と山末神社の社叢(高倉山)日本人の心のふるさと【其ノ十八】 ~お伊勢さんを歩こう~
ご祭神は草野姫命(かやのひめのみこと)で屋形船の神の分霊を祭ると伝えられる。
社名の清野は鎮座地周辺の原野を指し、井庭は井堰を意味する。灌漑用水の井堰の神を祭ったのが起源とされる。
伊勢市駅から西へ約1㎞ほどの銀座新道商店街を通り、さらに1㎞ほど西へ向かったところに社地がある
伊勢市中心市街地の山田の中央部にある570メートルに及ぶ銀座新道商店街
県道を挟んだ南東方向に高柳商店街があり、その西端に今社(いまのやしろ)がある
清野井庭神社から旧国道を挟んだ南にある今社(いまのやしろ)
伊勢市駅前商店街
浦の橋商店街
二俣商店街今回は125社というよりも、伊勢市内の商店街の紹介になってしまいました
車の受容により変わり果てた今、どの商店も人が溢れ活気に満ちていた頃を懐かしく思います。
こういうお店でないと手に入らないものもたくさんありますから、一つ一つお店を畳んでいかれることに寂しさを感じます
日本人の心のふるさと【其ノ十七】 ~お伊勢さんを歩こう~
玉城町佐田(さた)に鎮座し、地名がそのまま社名となっています。
外城田川(ときだがわ)の近くにあり、川の神である速川比古命(はやかわひこのみこと)と速川比女命(はやかわひめのみこと)、そして土地の守護神である山末御魂(やまずえのみたま)の三柱の神様がおまつりされています。
倭姫命が外城田川を遡ってこの地に来られた時に、速川比古命が「畔広の狭田の国と申す」と答え、神田を献上したことが、この神社の起源といわれています。狭田とは川の支流に挟まれた細長い田のことをいうそうです。地元からも非常に信仰が厚く、ご祭神の「ハヤカワヒコ」→「ハヒコ」が訛り、通称「はいこさん」とも呼ばれています。
「はいこさん」と親しまれる狭田国生神社
近くを流れる外城田川、奥に見える森が境内地
田丸城跡からの眺め
912年(大正元年)に建てられたJR田丸駅日本人の心のふるさと【其ノ十六】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇草奈伎神社(くさなぎじんじゃ) 豊受大神宮摂社ご祭神は標剣伎神(みしるしのつるぎのかみ)。剣の御霊を祭る。
豊受大神宮第一の摂社、格式の高い神社である。
〇大間国生神社(おおまくなりじんじゃ) 豊受大神宮摂社豊受大神宮第二の摂社で、一つの玉垣の中に二つの社殿が建てられている。
向かって右は大若子命(おおわくこのみこと)を、左は乙若子命(おとわくこのみこと)を祭る。皇大神宮ご鎮座に功績ある神々で度会氏の祖である。
大間広と呼ばれる台地上の社域
草奈伎神社は平成28年10月6日に大修繕が行われた
こちらは平成28年12月1日に大修繕なった大間国生神社
すぐ近くのJR山田上口駅(やまだかみぐち)
駅前のクスノキ並木のロータリー
水害の多かったこの地域に、清盛の命によって堤が築かれたそう日本人の心のふるさと【其ノ十五】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇御船神社(みふねじんじゃ) 皇大神宮摂社多気郡多気町土羽(とば)に鎮座する。伊勢市より車で30~40分ほどの度会郡玉城町に隣接する。
ご祭神の大神御蔭川神(おおかみのみかげかわのかみ)は田畑を潤す外城田川の守護神であり、水上交通の守護神でもある。
外城田川を遡っていた倭姫命が、川の終わるこの場で船を停泊し航路の守り神をお祭りした。町名の土羽は止場(船が止まる場)を意味する
〇牟弥乃神社(むみのじんじゃ) 皇大神宮末社御船神社に同座され、寒川比古命(さむかわひこのみこと)・寒川比女命(さむかわひめのみこと)をお祭りする。
外城田川の守護神で大水上命(おおみなかみのみこと)の子である。
特徴的な天保14年の石灯籠と紀州藩が建てた禁殺生石がお迎えしてくれる
田園が広がる閑静な土地にひっそりと鎮座する
御船神社の正面4㎞ほど向こうに朽羅神社の社叢が眺められる
御船神社を背にした左斜め先に蚊野神社がある
実るほど・・・
近くには伊勢本街道と熊野街道が合流する玉城町のシンボル田丸城跡がある日本人の心のふるさと【其ノ十四】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇園相神社(そないじんじゃ) 皇大神宮摂社この地の園作神(そのつくりのかみ)である曽奈比比古命(そないひこのみこと)と御前神(みまえのかみ)がまつられている。倭姫命がこの地を訪れたとき、ご祭神の曽奈比比古命が御園(神宮にお供えする野菜等を作る場所)の地を奉り、その功績により定められた神社である。昔はこの神社付近にも御園があったそう。
園相神社は『造宮使造替六社(ぞうぐうしぞうたいろくしゃ)』とされ、摂社の中でも高い格式を持つ神社で、また地元民には(伊勢市津村町白木という地名から)『白木さん』と呼ばれ非常に信仰の厚い神社である。
奉納された真新しい柄杓が信仰の厚さを感じる
立派な木々が立ち並ぶ参道
造宮使造替六社の証「板戸」の園相神社
恵みの雨を浴び煌く
神社から眺める梅雨空の山
青々と実る神社近くの畑日本人の心のふるさと【其ノ十三】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇江神社(えじんじゃ) 皇大神宮摂社ご祭神はこの地方の土地の神にして五穀守護の神である長口女命(ながくちめのみこと)、大歳御祖命(おおとしのみおやのみこと)、宇加乃御玉命(うかのみたまのみこと)の三柱が祀られている。この神社は倭姫命が定められ、社地が五十鈴川の河口で入江になっている場所にあるところから社名がつけられた。俗に「蒔絵(巻江)の明神」とも称される。
自然豊かな神社のそばでくつろぐ野鳥
社地へとつながる弧を描く道
近くを流れる五十鈴川
江神社参道
緑生い茂る江神社日本人の心のふるさと【其ノ十二】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇佐美長神社(さみながじんじゃ) 伊雑宮所管社ご祭神は五穀豊穣の神であるが、地元民は地主の神様としての信仰も篤い大歳神(おおとしのかみ)。佐美長神社には《磯部の真名鶴(まなづる)伝説》が伝えられており、古くから大歳社(おおとしのやしろ)や穂落社(ほおとしのやしろ)とも呼ばれている。
また、同境内には佐美長御前社四社(さみながみまえしゃよんしゃ)が鎮座しており、伊雑宮の所管社である。ご祭神は佐美長御前神(さみながみまえのかみ)で佐美長神社の御前におります神が祀られている。
佐美長神社と佐美長御前社四社
空が吹き抜け光が差し込む社地
磯部の町を走り抜ける近鉄電車
近くを流れる磯部川日本人の心のふるさと【其ノ十一】 ~お伊勢さんを歩こう~
○久具都比売神社(くぐつひめじんじゃ) 皇大神宮摂社伊勢市街地より車で15分ほど宮川沿いに上ると、川原神社・神宮苗畑・園相神社がある。さらに上流へ走ること15分、長閑な度会郡度会町へたどり着く。
山あり川あり、田園に茶畑…古からさして変わらないであろう風景にしばし時を忘れる。
ご祭神は久具都比女命(くぐつひめのみこと)・久具都比古命(くぐつひこのみこと)・御前神(みまえのかみ)で水の神、五穀の神とされる。
風光明媚なこの町では時間がゆっくり過ぎていく
久具都比売橋が平成6年に架けられるまでの約90年間、
お茶の産地、度会町はいたるところに茶畑があり、
こんもりとした森が見えてきた
お社へのアプローチ
冬とは思えない暖かい日、造替間もない新社殿が、日本人の心のふるさと【其ノ十】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇瀧原宮(たきはらのみや)・瀧原並宮(たきはらならびのみや) 皇大神宮別宮伊雑宮と同じく遥宮(とおのみや)とも呼ばれ、度会郡大紀町に鎮座し天照大御神御魂を
お祀りする。ご参拝者は手水舎ではなく清らかな頓登川(とんどがわ)で手水をとり参拝に向かう。域内の参道には多くの大木がそびえたち、この地の自然の雄大さを物語っている。真冬の参拝でも、寒いながらもどこか包まれているような暖かい雰囲気を感じる。
瀧原宮と瀧原並宮
大木が並び立つ参道
瀧原宮の忌火屋殿日本人の心のふるさと【其ノ九】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇棒原神社(すぎはらじんじゃ)皇大神宮摂社今回は、秋風の125社まいりでも参拝した棒原神社を紹介します。
祭神は、星の出具合いによって農耕を占う天須婆留女命御魂(あめのすばるめのみことのみたま)と御前神(みまえのかみ)の二座と伝えられている。
丘陵の地に御鎮座され、地元では「杉の森」と呼んでいます
杉の森
近くをはしるJR参宮線
美しくなった棒原神社
神社から見える風景日本人の心のふるさと【其ノ八】 ~お伊勢さんを歩こう~
〇神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ) 皇大神宮所管社神麻続機殿神社は上機殿(かみはたどの)とも呼ばれ、神様の衣服(神御衣/かんみそ)である麻の反物(荒妙/あらたえ)を織る八尋殿(やひろどの)が神社の横に建つ。
ご祭神は、八尋殿をお守りする神麻続機殿鎮守神(かんおみはたどのまもりのかみ)。
また、域内には末社八所(まっしゃはっしょ)も鎮座しており、祭神は神麻機殿鎮守御前神(かんおみはたどののまもりのかみのみまえのかみ)が祀られている。
並び建つ神麻続機殿神社と八尋殿
5月と10月の朔日から荒妙の奉職が行われる
神麻続機殿神社末社八所日本人の心のふるさと【其ノ七】 ~お伊勢さんを歩こう~
今回は、日本人の心のふるさと【其ノ四】神前神社に続き、神宮125社の中でも一二を争う険しい参道のお社をご紹介。
○鴨神社(かもじんじゃ) 皇大神宮摂社ご祭神は、石己呂和居命(いしころわけのみこと)と御前神(みまえのかみ)の二座と伝えられる。農耕灌漑の守り神。
山の中腹にあり、お社の奥(東上)には岩窟があり、清泉が湧出し日照りの折でも枯れたことがないといわれている。
地元では「鴨の谷様」と称されているそう。
前方にそびえる山の中腹が境内地
小川を渡り、けもの道を進む(橋が揺れるのでご注意を)
鴨神社日本人の心のふるさと【其ノ六】 ~お伊勢さんを歩こう~
○粟皇子神社(あわみこじんじゃ)皇大神宮摂社ご祭神は、須佐乃乎命御玉道主命(すさのおのみことのみたまのみちぬしのみこと)。別名を淡海子神(あわみこのかみ)。
海岸鎮護の神と伝えられる。
白砂青松の海岸から飛島が望まれる美しい景観の社域。
倭姫命(やまとひめのみこと)に御贄(みにえ・神様にお供えする神饌)を奉った故事により定められた。
潮の香りただよう粟皇子神社
お社のすぐ後ろには海が広がる
社域には種類の違う樹木が重なり合う
お社近くを国鳥であるキジが散歩中神宮125社の中で一番浜辺に近いお社。
大変暑さが増してまいりました。
ご自愛ください。
日本人の心のふるさと【其ノ五】~お伊勢さんを歩こう~
皆さまは、豊受大神宮(外宮)の北御門口から参道を進むと、右手に1本の脇道があるのをご存じだろうか。
○度会国御神社(わたらいくにみじんじゃ) 豊受大神宮摂社ご祭神は彦国見賀岐建與束命(ひこくにみがきたけよつかのみこと)。伊勢国造・度会神主の祖。
北御門口から右手へ小さな参道を進むと老杉や巨楠の森厳な自然林の中に佇む。
その奥へ進むと大津神社がある。
○大津神社(おおつじんじゃ) 豊受大神宮末社
ご祭神は葦原神(あしはらのかみ)。五十鈴川河口の守り神と伝えられる。明治6年にこの地に再興された。
木漏れ日の中参道を進む
参道脇には象の足のような
何百年も前からお参りする人々を
参道脇の木々が水面に映る
度会国御神社
大津神社梅雨の外宮。
もうすぐ夏本番。
日本人の心のふるさと【其ノ四】
~お伊勢さんを歩こう~
今回は、番外編として神宮125社の中でも、一二を争う険しい参道のお社をご紹介。
○神前神社(こうざきじんじゃ)皇大神宮摂社二見海岸の小井戸口山(こいどぐちやま)という山頂に海岸の守護神である荒前比賣命(あらさきひめのみこと)がお鎮まりになる。
この海岸では、その昔贄海神事(にえうみのしんじ)と呼ばれる、天照大御神に奉る神饌を採る神事が行われていた。
二見海岸にそびえる山の頂きが境内地
潮騒が心地よい
石畳の参道を登る
神前神社
心穏やかになる自然美葉に留まる水滴や木漏れ日が絵画のようでとても瑞々しい参道。
しかし、非常に滑りやすい山道なので、お参りの際はご注意を。
日本人の心のふるさと【其ノ三】
~お伊勢さんを歩こう~
今回は、5月「125社まいりBース」でお参りする予定であったお社をご紹介。
○御食神社(みけじんじゃ)豊受大神宮摂社
かつて伊勢の海の玄関口として栄えた神社港(かみやしろこう)に鎮座する。
倭姫命に清水を奉った功績を称えられ、定められたのが起源であるとされる。
境内にある辰の井(井戸)が、その当時の清水であるとも伝えられ、地元の産土神として親しまれている。
神社港に架かる大橋から見た様子
堤防に描かれた壁画
左側に見える森が境内地
御食神社
舟形に模られた水盤
辰の井(井戸)日本人の心のふるさと【其ノ二】
~お伊勢さんを歩こう~
今回は、5月「新緑の125社まいり」でお参りする予定であったお社をご紹介。
《125社の概要は4月23日更新の会員情報をご覧ください。》
○鏡宮神社(かがみのみやじんじゃ)皇大神宮末社
内宮から4㎞ほど五十鈴川を下った朝熊川と合流する風光明媚な場所にお鎮まりになる。
神鏡を奉斎する神社。
域内には大きな虎石があり、上に二面の神鏡が祀られていたと伝えられる
対岸右側のこんもりとした森が境内地
カニさんがお出迎え
鏡宮神社
神鏡が祀られていたと伝えられる虎石
夕陽に映える朝熊の森(この森に朝熊神社がある)
左側が鏡宮神社・右側が朝熊神社撮影時は風もなく、夕日がとても美しかった。
空を見上げると上弦の月を見ることができ、すべてが絵巻の中にいるようなひと時であった。
自粛要請の中、皆様の「和み」になればと思います。
日本人の心のふるさと
~お伊勢さんを歩こう~
神宮は、天照大御神をお祭りする皇大神宮(内宮)と豊受大御神をお祭りする豊受大神宮(外宮)の御正宮を中心に、14の別宮と109の摂社(せっしゃ)・末社(まっしゃ)・所管社(しょかんしゃ)あわせて125のお社から成り立っています。
摂社とは、平安時代に朝廷が作成した書物に記載のあるお社で、皇大神宮に27社、豊受大神宮に16社あります。
末社とは、それ以前に伊勢の神主らが書き記した書物に記載のあるお社で、皇大神宮に16社、豊受大神宮に8社あります。
所管社には、井戸や酒、米、塩、麻、絹など衣食住をつかさどる神々が多く祭られ、皇大神宮に30社、豊受大神宮に4社、別宮の瀧原宮に3社・伊雑宮に5社あります。
今回は、4月の「125社まいりAコース」でお参りする予定であったお社の1つをご紹介したいと思います。
○饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)皇大神宮所管社
神宮会館の早朝参拝案内にご参加された方は、お耳にされたことがあるのでは。
ご祭神は、宇治橋守護の神。
「饗土」とは、内宮の宮域に悪しきものが入らないよう、防ぎお祭りする所。
饗土橋姫神社
お参りを終えて振り返えると、
水盤や苔まで美しい
自粛要請の中、皆様の「和み」になればと思います。